2021.07.20

戦国武将が愛した城のある風景~北陸・富山編~

戦国武将が愛した城のある風景~北陸・富山編~

- 富山県の地形から戦国武将の強烈な逸話が残る -

目の前は日本海・富山湾、背後に3000m級の峰々が連なる立山連峰などの北アルプスがそびえる富山県。その地形から語り継がれる有名な伝説があります。

それは、佐々成政の「さらさら越え」。
織田信長が本能寺の変で明智光秀に討たれたあと、富山城は羽柴秀吉の軍勢に睨まれます。富山城主だった戦国武将の佐々成政は、浜松にいる徳川家康がどちら側につくのか真意を確かめるため、富山城を出発。街道を通れば敵に見つかるため、北アルプス越えを決断します。季節は厳冬のさなか、山は数mの積雪や吹雪、極寒の状況。そこを何とか乗り切り、家康の元にたどり着いたというものです。立山連峰のザラ峠を越えたということで、さらさら越えといわれますが、このコースは非常に厳しく現実にはあり得ないともいわれ、実は飛騨ルートや糸魚川ルートではないかとの説もありますが定かではありません。

どちらにしろ、結局家康は兵を出さず、応援がないままに成政は秀吉に降伏しています。

 

富山県に点在する城を巡ってみましょう

富山県には大小70ほどの城があったと考えられています。
築城者など不明な城が多く、この中でも詳細が判明している国指定史跡の3カ所、高岡城、安田城、増山城と、戦国武将・佐々成政も居城した富山城を紹介します。

 

【 富山城 】

佐々成政や富山藩主前田家の居城となった、富山城。市街地のほぼ中央に位置する平城です。 天文12年(1543)に神保長職(じんぼながもと)が命じて、家臣の水野勝重によって築城されました。長職は一向宗や武田信玄と懇意にしていたため、上杉謙信と幾度となく戦いを繰り返していましたが、天正4年(1576)に落城。富山城は上杉謙信、続いて織田信長の手中に治められ、織田信長の命をうけた佐々成政が入城しました。成政は織田信長や前田利家と同じ尾張国の生まれであり、信長の家臣に。数々の合戦での武功が認められ越中富山城を与えられました。

佐々成政は上杉勢を押さえる一方城の改修も重ね、本能寺の変以降は羽柴秀吉に攻められ降伏しています。その後は前田利家が加賀、能登とともに富山も支配することになり、利家の長男、前田利長が富山城に入城。富山前田家が13代にわたり居城としました。現在は堀や石垣、土塁などが遺構として残り、昭和29年(1954)には3層4階建ての天守を建設。内部は富山市郷土博物館となっています。続日本100名城。

●富山県富山市本丸1-62 tel.076-432-7911(富山市郷土博物館)

実際には天守台はありましたが、天守は築かれなかったようです

初代藩主前田利次が改修したと伝わる富山城の石垣

 

【 高岡城 】国指定史跡

築城を手がけた城主が逝去したため、未完成のままに終わった高岡城。
加賀藩2代前田利長が富山城を出て隠居するため、慶長14年(1609)に高岡市中心部の広大な敷地に高岡城を築城開始。その翌年に利長が死去し、一国一城令により完成を見ないまま廃城になりました。しかし、加賀藩の軍事拠点としての機能はひそかに保たれ、濠や土塁も大きく手を加えられることのないまま今に残されたそうです。

高岡古城公園は、敷地面積の3分の1を水濠が占めています。季節ごとの自然美を映す水面には水鳥が遊び、色彩豊かな表情を見せてくれます。日本さくら名所100選に選ばれた花見スポットでもあり、濠端が淡いピンクで彩られる光景はなんとも見事。春と秋には濠を巡る遊覧船が運航しています。園内には射水神社や入場無料の動物園、博物館などもあり、市民の憩いの場となっています。日本100名城。

●富山県高岡市 tel.0766-20-1563(高岡古城公園管理事務所)

紅葉を映す濠の水面。濠は築城時の姿を残す貴重な遺構です

春の桜と秋の紅葉、この時期だけ楽しめる遊覧船を運行

 

【 増山城 】国指定史跡

守山城(高岡市)、松倉城(魚津市)と並び、富山の越中三大山城に数えられる増山城(砺波市)。戦国時代の城は、勢力争いによって幾度となく城主が替わりますが、増山城もしかり。推察の域によると、14世紀中頃に元越中守護の桃井氏が初代の城主といわれます。その後富山城を築城した神保長職や上杉勢、佐々成政などが名前を連ねています。

山城であるため増山城跡への道は狭い山道になります。登り口の近く、資料展示とトイレがある増山陣屋に駐車し、すぐそばの和田川ダムを渡るとすぐ冠木門が見えてくるので、ここから登ります。二ノ丸(本丸)跡まで往復約30分、土塁や堀、石垣などの遺構を見ることができます。ボランティアガイド(増山城解説ボランティア曲輪の会)を依頼することも可能です。増山城は続日本100名城にも選定されています。

●富山県砺波市増山 tel.0763-33-1602(砺波市教育委員会)
●ボランティアガイドtel.0763-37-1303(砺波市埋蔵文化センター内)

登山口の一つ冠木門。ここから歩いて一の丸、二の丸、三の丸へ

増山陣屋には駐車場とトイレがあり、パンフレットも入手できる

 

【 安田城 】国指定史跡

スイレンの名所として知られ、5月中旬~9月頃は多くの人が訪れる安田城跡。
羽柴秀吉が富山城の佐々成政を攻めるために、秀吉の本陣であった白鳥城の支城として使われていた戦国時代末期の平城です。富山城から約4.7km地点の安田城は、本丸、二の丸、右郭で構成され、それを取り囲むように水堀や土塁があります。築城から短い期間しか使用されず廃城となったため、その堀や土塁が遺構として残り、往時の姿をよくとどめています。

安田城跡は、昭和52年(1977)から5回にわたり実施された発掘調査の出土品を展示。お酒を飲むときに使う素焼きの噐、かわらけが多く出土しているほか短刀や砥石などが発見されています。安田城跡の脇に立つ安田城跡資料館で、安田城跡見どころマップをもらってから散策をするのがおすすめです。

●富山県富山市婦中町安田244-1 tel.076-469-4241(安田城跡資料館)

資料館の2階からは安田城跡の全貌が眺められる

安田城跡資料館には富山市の19城を紹介したお城マップもある