金箔の歴史

日本の金箔は99%以上が金沢産

金箔は、金閣寺や日光東照宮などの歴史的価値が高い寺社仏閣をはじめ、さまざまな工芸品に使われています。
歴史都市金沢で受け継がれてきた36種の伝統工芸の中でも金箔が発展したのは、藩の文化奨励策で能や茶の湯が盛んに行われ、伝統工芸が発展したことや、気候、風土、そして北陸という地で育まれてきた忍耐強い「職人気質」という要因があると言われています。

金箔の始まり

日本で最初の金・銀箔がいつごろ作られたのか、詳しいことは正確に解明されていません。古くは金箔が施された古墳時代のアクセサリーが発掘されています。また、金は古代から永遠、不変を象徴するとして、寺院建築や仏像彫刻に使われてきました。平安、室町、安土桃山と発展する日本の仏教文化の浸透とともに中国伝来の製箔技術がやがて日本独自のものとして定着し、今日へと発展してきたといえます。金沢でいつの時代から金箔、銀箔の製造が始まったのか定かではありませんが、加賀藩初代藩主・前田利家が、文禄2年(1593)に豊臣秀吉の朝鮮の役の陣中より、明の使節団の出迎え役を申し渡され、武者揃えの槍(やり)などを飾るため、領地の加賀、能登で金箔、銀箔の製造を命じる書を寄せているのが始まりとされています。

戦国時代と金箔

黄金好きで知られる豊臣秀吉は、天守閣や調度品にも金箔を好んで使用していました。加賀藩祖前田利家や、大名らが屋敷を構えていた聚楽第、伏見城近くからも前田家家紋である梅鉢紋入りの瓦をはじめ、大量の金箔瓦が出土しています。権力の象徴として、諸大名が瓦、内装装飾などさまざまな場所に金箔を使っていたと推測されます。
徳川家康の時代に移り、金箔、銀箔の生産は幕府の経済体制を固める政策として、厳しく統制。「箔打ち禁止令」により江戸、京都以外の土地で厳しく禁じられることとなったのです。しかし加賀藩の細工所を中心に箔の打ち立ては密かに続けられました。そのような中、加賀藩は九谷焼や輪島塗、山中塗、加賀蒔絵といった伝統工芸の発展に力を注ぎ、今日の工芸王国石川の礎を築きました。

金沢における金箔の発展

元治元年(1864)の加賀藩の御用箔の打ち立ての免許取得を機に、金沢の金箔は質・量ともに格段の発展を遂げます。箔座の廃止や明治維新による江戸幕府の崩壊によって、金箔産業の統制化江戸箔が途絶えたことで金沢箔の優位性は一気に高まりました。
第一次世界大戦の戦災で、それまでのヨーロッパの最大の箔産地であったドイツが壊滅的打撃をうけ、金沢の箔産業は飛躍的に発展します。仏壇・仏具や水引等、信仰に深く根をおろして、金沢箔は今日まで発展してきました。

無限に広がる金箔の可能性

材料であった金沢箔が、現代では金沢箔工芸品として認められ工芸王国金沢の、代表的な伝統工芸としての地位を確立しました。金箔は工芸品のみならず、食品、化粧品などに使われるようになったほか、最近では、建築やインテリアの新しい表現力を広げる素材の一つとしての需要が高まっています。
金沢箔は、金箔のみならず、銀箔、錫箔、真鍮箔などの箔の総称です。金属そのものの色合いを表現するだけでなく、配合を微妙に変化させたり、特殊加工を施したり、貼り方を変えることで、その表現力は無限に広がります。
金沢箔はこれからも、新しい歴史を作り続けて参ります。