続・有名武将ゆかりの城が点在する福井の城
前回に引き続き福井県にある城をご紹介いたします。山城へは、冬の積雪時や梅雨の降雨時など、通行止めの場合もあります。また、熊や猪なども出没しますので、あらかじめ調べておでかけください。
前回に引き続き福井県にある城をご紹介いたします。山城へは、冬の積雪時や梅雨の降雨時など、通行止めの場合もあります。また、熊や猪なども出没しますので、あらかじめ調べておでかけください。
福井城より以前に存在した城で、福井城から約1㎞離れた地。戦国時代の武将柴田勝家と織田信長の妹お市、浅井三姉妹の居城であり、そこには天守もあったと考えられています。天正3年(1575)に柴田勝家が築城し、1583年の賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉に敗れたあとこの城で妻お市とともに自害したと伝わります。
現在、城跡は公園「北の庄城址・柴田神社」として整備。発掘された遺構を展示する資料館などもあり、日本の歴史公園100選に選定されています。写真は柴田勝家とお市を祭る柴田神社。
●福井県福井市中央1-21-27 ☏0776-23-0849(柴田神社)
若狭湾や町並みを一望できる海抜86mの小高い山にあった金ヶ崎城。建武3年(1336)、後醍醐天皇の皇子、尊良(たかなが)と恒良(つねなが)が、新田義貞とともに金ヶ崎城を拠点としましたが、足利尊氏に何度も攻め込まれ1337年に落城します。その後再興され、1471年に朝倉影冬が敦賀郡司として着任後、代々郡司の居城に。織田信長が攻め込んだ際、義弟・浅井長政が反旗をひるがえしたため織田軍が撤退。「金ヶ崎の退き口」として語り継がれています。跡地には金ヶ崎城址の石碑が立ち、山の中腹には尊良と恒良の両親王を祭る金崎宮(写真)が鎮座しています。
●福井県敦賀市金ヶ崎町1-4 tel.0770-22-0938(金崎宮)
杣山(そまやま)城は、昭和45年(1970)から発掘調査が行われた山城。鎌倉時代末期に瓜生一族が築城したと伝えられ、本丸は標高492mの杣山山頂に。天正元年(1573)に織田信長に攻め込まれ廃城となりました。
現在、杣山城跡への登山ルートが4コース整備されており、ハイキングコースとして親しまれています。60~70分の道のりで、東御殿や西御殿、姫穴など往時の面影を肌で感じながら山頂へと向かいます。山頂では眼下の眺めも楽しめます。ただ、急な階段やはしごで上るルートもあり、服装や靴などを整えてアクセスしたいですね。写真は杣山城跡への登山道の様子。
●福井県南越前町阿久和 tel.0778-47-8002(南越前町観光まちづくり課)
若狭湾を見下ろす美浜町東部に位置した山城、佐柿国吉(さがきくによし)城。弘治2年(1556)に古城を利用して若狭国守護大名の重臣が築城。向かってくる越前朝倉氏の侵攻を幾度も食い止めていましたが、1570年に朝倉攻めをするため織田軍が入城。木下藤吉郎(豊臣秀吉)、徳川家康、明智光秀らそうそうたる武将もここに合流しています。
現在は、土塁やわずかな石垣が残る標高197mの本丸跡(写真)まで約30分の歩道が整備されています。麓に立つ歴史資料館(入館100円)では、佐柿国吉城の歴史や城下町の様子などを展示・紹介しているので、立ち寄ってみましょう。
●福井県美浜町佐柿25-2 tel.0770-32-0050(若狭国吉城歴史資料館)
北川と南川の天然の濠に挟まれた河口に立っていた小浜城。現在は、小浜湾を見渡す小浜神社の境内に、高さ11mの立派な石垣を見ることができます。関ヶ原の戦い後、若狭は京極高次が治め、寛永13年(1636)に酒井忠勝が城主となって天守が完成した小浜城の遺構です。その後14代、238年もの間、酒井家が小浜を治め、小浜城を居城としました。 明治の廃藩置県の際に小浜県庁が設置されましたが、火事によって城郭部分をほぼ焼失し、石垣と礎石の一部が残るのみとなりました。JR小浜駅から約1.5㎞の地で、駅にはレンタサイクルも用意されています。
●福井県小浜市城内1-7-55 tel.0770-52-1920(小浜神社)