2021.05.05

戦国武将が愛した城のある風景~北陸・石川編~

戦国武将が愛した城のある風景~北陸・石川編~

戦国時代を彩った石川の城めぐり

歴史好きの散策スポットとしておすすめなのが、戦国時代の武将たちの威厳と風格を示した城(城跡)のある風景。日本各地に城郭は古代からあったと思われますが、中世・近世にかけて最も城らしいカタチになったといわれます。日本には数万の城があったとみられ、北陸でもごくごく小さな規模の城を含めると数百の城が存在していたそうですが、そのほとんどの遺構を今は見ることができません。

今回は石川編として城の存在を調べてみましたが、北は珠洲市の正院川尻城や輪島の天堂城~南は加賀市の黒谷城や小松市の今江城まで、エリアごとに多数点在していたようです。山城跡は山の中に埋もれたり城主も不明だったり、現地までの歩道が整備されていないなど、気軽に訪れるのが難しいものがほとんど。現在石川では、七尾城、金沢城、和田山城、鳥越城、二曲(ふとげ)城の5つが国史跡に指定されており、県史跡指定には末森城と御舘館の2つがあります。これらは歩道などが整備されているようですので、散策がてら訪れてみてはいかがでしょうか。

※和田山城は(2020.05.20)で紹介の古墳巡りに登場しており、和田山古墳群の古墳の上に城が築かれていたそうです。

歩いてみよう、石川の城のある風景

1人旅でも迷わずに行け、気軽に散策できる城を4つ紹介します。ただし、七尾城と鳥越城については、冬期など天候や歩道の状況により通行止め等がありますので、おでかけ前にあらかじめ調べることをおすすめします。

◆金沢城(国指定史跡)

過去にも紹介してきた金沢城(2020.08.20)は、金沢市の中心部に立つ典型的な平山城。現在の金沢城がある地は、もともとは加賀一向一揆の拠点として浄土真宗の尾山御坊が築かれていましたが、織田信長に攻め落とされ、天正8年(1580)年に金沢城が築城されました。1583年に前田利家が入城し、前田慶寧まで14代にわたり城主を務めました。

遺構として残るのは、1788年再建の石川門、1858年再建の三十間長屋、1848年建造の鶴丸倉庫の3つの建物。そのほかの建物は平成13年(2001)から順次復元されており、菱櫓、五十間長屋、橋爪門、橋爪門続櫓、河北門、いもり堀、玉泉院丸庭園、鼠多門、鼠多聞橋が完成。次に二の丸御殿の復元が検討されています。城内には天守もあったそうですが1602年に落雷で焼失。その後再建はされませんでした。近年再建された建物や庭園等はクギをいっさい使わないなど、すべて往時のままを再現していますので、外観、内観ともに見ごたえたっぷりです。
◎石川県金沢市丸の内1-1

日本100名城に選ばれた金沢城。写真は橋爪門と五十間長屋

三十間長屋は国指定重要文化財

城内随所にさまざまな積み方の石垣が残る

◆七尾城(国指定史跡)

金沢から車で約1時間30分、前田利家が金沢城に入城する以前にほんの少しの間だけ居城とした山城で、標高約300mの山頂に立ちます。その敷地は広大で、よくもまあこんな山間部を切り開いて巨大な城を築いたなあ、という印象です。この地を選んだのは、足利一門の有力家臣であり能登国守護になるべく京の都から七尾にやってきた畠山一族です。明徳2年(1391)に七尾に入り、16世紀前半(1501~1550年)に七尾城を築城。1577年に上杉謙信に滅ぼされるまで、七尾城下には京風の文化が息づいていたそうです。

現在は野面積みの石垣が残るのみですが、城郭跡を結ぶ遊歩道が整備されています。さて本丸駐車場に車を停めて杉林の中、石垣を見ながら登るといきなり目の前が開け七尾湾が眼下に飛び込んできます。ここは本丸跡。かつての武将たちもこの風景を眺めたであろう絶景にしばし見とれます。ここから、雑木林の中を歩いて二の丸跡や三の丸跡などを回ることができ、鳥の声や落ち葉を踏みしめる音だけが響く静寂の世界を堪能。500年前に思いを馳せて歩いてみましょう。所要は約1時間。
◎石川県七尾市古城町

七尾城は日本100名城に選ばれている

本丸から見下ろすと、市街地や七尾湾、能登島の絶景が

凜とした空気が漂い心も洗われるよう

◆小松城(小松市指定文化財)

金沢から南へ約33㎞(車で約35分)に小松市があります。小松城は、かつては金沢城と同じく加賀一向一揆が構えた砦でしたが、天正7年(1579)に織田信長の命によって柴田勝家が制圧。2度城主を替えた後、前田家に没収されました。1639年には加賀前田家3代利常の隠居所として大改修され、本丸や西の丸、三の丸など数々の建物を築城。当時の金沢城よりも広大だったと伝わります。

現在残るのは本丸櫓台石垣のみですが、往時はこの上に、二重三階の楼閣風の建物があったそうです。階段を上がり石垣の上に立ち周囲を見渡してみると、小松の町並みとその奥には雪を冠した白山連峰の勇姿が望めました。利常もこの風景を眺めていたのかと思うと、歴女でなくても胸が熱くなります。石垣は石川県立小松高校のグランド横にあり、周囲にある小松市役所や芦城公園も小松城の跡地だったそう。また、小松城のものとして残る数少ない遺構のひとつ、鰻橋御門を移築した来生寺がすぐ近くにあるので、訪ねてみるのもいいですね。
◎本丸櫓台石垣:石川県小松市丸の内町二ノ丸15/来生寺:石川県小松市園町チ6

航空自衛隊の基地がすぐそば。石垣と青空と飛行機雲

石垣の上から見える霊峰白山の姿は雄大

かつて小松城にあった鰻橋御門を移築

◆鳥越城(国指定史跡)

金沢市街地から白山麓へ約28㎞(車で約30分)、標高312mの山頂に築かれた山城、鳥越城があり、加賀一向一揆の最後の砦となった城として知られています。「百姓の持ちたる国」といわれるほど、北陸エリアは浄土真宗の信仰で結ばれた信徒や僧が権力を持っていました。それに手を焼いた織田信長は軍勢をたてて戦う戦国時代に入ります。信長の軍勢に対抗するため加賀一向一揆衆は、天正元年(1573)ごろに要塞として鳥越城を築城。1580年に織田信長の軍勢、柴田勝家によって攻め落とされるまでの約100年間、加賀は百姓主体の世が続いていたそうです。

現在、発掘調査が行われた鳥越城跡には、枡形門、本丸門、中の丸門の3つの門が復元されています。本丸のすぐそばに駐車場があり、歩いて城跡へ。途中には、あやめが池や後三の丸跡などがあり、すぐに石垣と枡形門が見えてきます。枡形門をくぐると本丸門があり、その向こうには礎石を置いた本丸跡があります。眼下には集落や田畑が見え、目を上げれば峰々が連なる山並みなど、のどかな里山の風景が広がります。石川県白山市三坂町。およそ1.5㎞離れた場所には出城の二曲城の跡もあり、こちらも国指定史跡ですのでついでに散策してみてはいかがでしょうか。

続日本100名城に選定。写真は枡形門と本丸門

山あいの集落が見渡せる隅櫓跡。本丸跡からも同じ景色が見える

中の丸門は、中を見通せないよう脇を土塁で固めている