2021.04.20

金沢市民の暮らしに息づく、和菓子の文化。

金沢市民の暮らしに息づく、和菓子の文化。
※写真提供:金沢市
 

四季の移ろいを愛で、和菓子を楽しむ。

金沢市は日本三大和菓子処のひとつされ、和菓子が盛んな地域です。人口当たりの和菓子店の件数は京都に次いで全国2位、1世帯当たりの和菓子購入金額は全国1位とされています(出典:「和菓子」の1世帯当たり年間支出金額の都道府県庁所在市及び政令指定都市別ランキング(2016~2018 年平均) 総務省統計局)。金沢を歩くと、様々な和菓子と出会えます。茶席で好まれる上生菓子や、歳時を彩る縁起菓子、できたてを楽しむ素朴な朝生菓子、さらに手土産にも喜ばれる銘菓など、その種類は実に豊富です。こうした和菓子文化が金沢に根付いた理由について、ご説明をします。

茶道と共に発達した、金沢の和菓子。

加賀藩は、その成立のころより茶道を大切にしてきました。藩祖前田利家と二代の利長は千利休の直弟子であり、三代利常は小堀遠州や金森宗和などの高名な茶人に師事しました。また利常は、裏千家の成立に大きくかかわる仙叟千宗室(せんそうせんのそうしつ)を召し抱えるなど、おおいに茶道を奨励しました。茶道には和菓子が欠かせません。加賀藩は、城下に藩御用菓子屋を設けて和菓子を献上させました。これが、金沢の和菓子文化を生み出す源流となりました。特に名高い職人に、樫田吉蔵という人物がいます。彼は、2代将軍徳川秀忠の娘・珠姫が利常に輿入れした際に「五色生菓子」を創作したことで知られています。このお菓子は、明治以降庶民に広がり、今に至るまで婚礼祝いの菓子として市民に愛されています。


※写真提供:金沢市

真宗と共に庶民に広がった、和菓子の文化。

加賀藩では、茶道が和菓子文化隆盛の大きな源流となりました。ただし、これはあくまで武家の文化。庶民に広がっていく過程では、お寺が大きな役割を果たしました。もともと金沢は浄土真宗が盛んでした。織田信長によって、いったん制圧されてしまうものの、信仰は絶えませんでした。前田利家が金沢城に入城し、和解が成立。寺院が建立されて活動も認められ、再び民間に浸透していきました。浄土真宗では、宗祖親鸞聖人の祥月命日の前後を選んで、盛大な法要が行われます。これが報恩講です。この報恩講の際には、お供えされた落雁や饅頭を庶民にふるまっていました。このことが和菓子文化が庶民に広がっていく大きな役割を果たしたといわれています。


※写真提供:金沢市

金沢の歳時記を彩る和菓子。

金沢に生まれた和菓子文化は、この地域特有の様々なお菓子を生みました。これらは、歳時記や慶事の際に楽しまれています。その中でも代表的なものを紹介します。


※写真提供:金沢市

福梅

前田家の家紋であった「梅鉢紋」をかたどった、金沢特有のお菓子です。十代前田重教のときに新春の茶会に献上されたのが最初とされています。今でも金沢市民の正月用のお菓子として人気です。


※写真提供:金沢市

辻占

金沢で正月に楽しまれる縁起菓子です。最中の生地の中に、占いが入っているのが最大の特徴です。この占いには吉凶の判断というより、含蓄のある警句や格言のような言葉が書かれています。


※写真提供:金沢市

五色生菓子

徳川家の珠姫が三代利常の元に輿入れしたことを慶賀して創作されたとされています。五色は「日月山海里」を表しており、森羅万象の意味があります。今でも厳かな婚礼の席で好まれています。


※写真提供:金沢市

金花糖

金花糖は金沢の桃の節句に欠かせないお菓子です。鯛や桃、海老、竹の子などの縁起の良いモチーフをかたどった砂糖菓子です。華やかで可愛らしい姿は、木型職人や和菓子職人の技によって作られます。

金沢に来たら、ぜひ和菓子文化をお楽しみください。

『箔一』では、こうした金沢の和菓子の文化を気軽に体験できるカフェを運営しています。ひがし茶屋街の広見に位置する「金澤しつらえ」の2階、やなぎ庵では、茶屋建築の素晴らしい雰囲気の中、金沢の和菓子をお楽しみいただけます。

金沢の老舗和菓子店のお菓子を一度に楽しめるセットです。季節の”美味しいところ”を広く味わえるセットです。

お抹茶と上生菓子のセットです。まさにお茶の席に呼ばれたのようなスタイル。作法を気にせず、美味しいひと時をお楽しみください。

「やなぎ庵」は200年の歴史ある茶屋建築を改装したカフェです。風情のある雰囲気を楽しむ極上の時間が過ごせます。

 

■茶房 やなぎ庵(金澤しつらえ2階)
金沢市東山1丁目13-24(ひがし茶屋街広見)
Tel.076-251-8899
営業時間:午前10:00~午後5:00(L.O.午後4:30)
定休日:1月1日、木曜
※メニューは季節によって変わります。
※定休日や営業時間が変更になる場合があります。