加賀藩が幕府に献上した、夏の氷。
暑い季節に冷たいかき氷やアイスを楽しむのは、とても贅沢なひと時です。現代社会では誰もが気軽にこのような贅沢を楽しめますが、今から400年前、江戸時代では真夏に氷など夢のようなことでした。当時加賀藩は、この夢のような贅沢を徳川将軍に味わってもらおうと、冬に降った雪を江戸に届けていました。大寒の時期に、特別に設けられた氷室蔵と呼ばれる貯蔵庫に雪を詰め、半年ほどたった旧暦の6月1日にこれを取り出して、江戸幕府に献上していたのです。
暑い季節に冷たいかき氷やアイスを楽しむのは、とても贅沢なひと時です。現代社会では誰もが気軽にこのような贅沢を楽しめますが、今から400年前、江戸時代では真夏に氷など夢のようなことでした。当時加賀藩は、この夢のような贅沢を徳川将軍に味わってもらおうと、冬に降った雪を江戸に届けていました。大寒の時期に、特別に設けられた氷室蔵と呼ばれる貯蔵庫に雪を詰め、半年ほどたった旧暦の6月1日にこれを取り出して、江戸幕府に献上していたのです。
藩政期の記録を見てたいへんに驚かされるのは、この氷がわずか4日間で江戸まで届けられたことです。当時、加賀藩から江戸までの道のりはおよそ480km。この距離を、加賀飛脚と呼ばれた人たちが、走りぬけて氷を届けていきました。ちなみに当時使われていた下街道と呼ばれる長野経由のルートは、現在の北陸新幹線の線路とほぼ重なるといわれています。下街道480kmに対して、北陸新幹線の金沢東京間は約450kmですから、トンネルの分などを差し引けば、実際にかなり近いといえそうです。
この480kmの道のりは、通常であれば片道12泊13日の旅程だったといわれています。ですが、夏場に13日間もかけてしまえば、氷は溶けてなくなってしまうでしょう。氷を届けるには、とにかく時間勝負。加賀飛脚は、氷が溶ける前に江戸まで運ぶために、昼夜問わず4日間走り続けたといわれています。加賀藩から江戸までは、山越えの厳しい道のりです。毎日120kmもの距離を、重たい氷をもって進むというのは相当に大変なことだったろうと思います。
こうして江戸幕府に献上された氷ですが、実際には土やほこりなども混ざっており、かき氷のようにして食べることはできなかったようです。そのため、涼を楽しんだり、果物を冷やすのに使われたと考えられています。
この風習は一度は完全にすたれましたが、昭和61年に、湯涌温泉観光協会が中心となって復活を目指し、金沢市などが協力して氷室を復元しました。いまでは、毎年1月31日に地域の人々や観光の方々が協力して雪を氷室に詰め、その年の6月30日にこれを出して、石川県知事、金沢市長、また加賀藩の屋敷があった東京都板橋区、目黒区に贈呈しています。氷室に雪を詰める日のことを「仕込み初め」、雪を出す日のことを「氷室開き」と呼び、冬・夏の風物詩として金沢市民に親しまれています。
また、夏の氷室開きに合わせて、氷室饅頭と呼ばれる酒まんじゅうを食べる習慣があります。ふかふかの蒸したての饅頭は、市民に夏の風物詩として愛されています。氷室饅頭の由来は、藩政期に高価な氷に手が届かない庶民が氷に見立てた白い麦まんじゅうを食べたとする説や、無事に氷が江戸まで届くようにお供えしたものが市民に広がったとする説などがあります。金沢では、毎年7月1日には氷室饅頭が一斉に発売されます。日本三大和菓子どころに数えられる金沢市には、和菓子屋さんが多く、それぞれの店が味を競い合っています。
2021年も、金沢での氷室の仕込み初めは1月31日(日)に湯涌温泉の氷室小屋にて行われました。