「加賀は天下の書府なり」
加賀藩の歴代藩主は能や茶の湯などの文化振興に心血を注ぎ、今も盛んな加賀友禅や金沢箔、金沢漆器などの伝統工芸が育まれました。また一方では、学者を招いて学問を奨励。江戸時代には5代加賀藩主前田綱紀が図書収集に力を入れ、それを見て新井白石が「加賀は天下の書府なり」という表現をしたといわれています。それほど加賀藩では、学問が盛んな土地柄だったといえます。その気風はその後も受け継がれ、県内には高等教育機関(大学・短大・高専)が19校あり、人口比では全国上位にあります。
加賀藩の歴代藩主は能や茶の湯などの文化振興に心血を注ぎ、今も盛んな加賀友禅や金沢箔、金沢漆器などの伝統工芸が育まれました。また一方では、学者を招いて学問を奨励。江戸時代には5代加賀藩主前田綱紀が図書収集に力を入れ、それを見て新井白石が「加賀は天下の書府なり」という表現をしたといわれています。それほど加賀藩では、学問が盛んな土地柄だったといえます。その気風はその後も受け継がれ、県内には高等教育機関(大学・短大・高専)が19校あり、人口比では全国上位にあります。
明治以降、日本の文壇で活躍した文豪が相次いで3人も現れます。「金沢の三文豪」と呼ばれる、泉鏡花、室生犀星、徳田秋聲です。彼らは金沢を貫いて流れる2つの川、犀川と浅野川の河畔で生まれ育ち、金沢の豊かな風土や雅やかな情景とともに文学に目覚めていきました。
泉鏡花は明治6年、浅野川に近い尾張町生まれ。独特の美意識が感じられる華やかで幻想的な感性で、大正から昭和にかけて、『義血俠血』『婦系図』『天守物語』など、300編あまりの作品を生み出しました。生家跡には「泉鏡花記念館」が建ち、彼の文学や生涯を詳しく紹介しています。
室生犀星は明治22年生まれ、生後間もなく犀川河畔にある雨宝院に預けられ、養父母のもとで育ちました。20歳で単身上京。数々の詩や小説を次々に発表します。『幼年時代』『杏っ子』『蜜のあはれ』などの作品があり、こちらも生家跡に「室生犀星記念館」が建っています。 徳田秋聲は明治4年生まれ。浅野川に近い横山町で育ちます。19歳のとき父が脳溢血で亡くなり、翌年小説家を目指し上京します。『あらくれ』『仮想人物』『縮図』などを発表し、明治・大正・昭和の三時代にわたり活躍。浅野川河畔には彼の人となり、作品を紹介する「徳田秋聲記念館」があります。
石川近代文学館では、金沢の三文豪や石川県ゆかりの作家を知ることができます。金沢21世紀美術館からも程近いので、観光の合間に訪ねてみては。
【DATA】
石川近代文学館
いしかわきんだいぶんがくかん
☎076-262-5464
石川県金沢市広坂2-2-5
9:00~17:00(入館は16:30まで)
無休(12月29日~1月3日、展示替期間は休館)
入館360円