2020.09.01

地域を守るとうもろこし

地域を守るとうもろこし

魔除けとなった、とうもろこし

ひがし茶屋街を歩くと、軒先にとうもろこしを吊るしているのをよく見かけます。これは門守(かどもり)と呼ばれる風習で、魔除けの効果があるものを軒先に飾って、家内安全を祈念するものです。とうもろこしは豆が多いことから「まめまめしく健康に働ける」ことや子孫繁栄のお守りとして喜ばれるほか、ふさふさとした毛は「儲け」や「厄除け」につながるともいわれています。

年に一度の四万六千日

それにしても、なぜ、とうもろこしがこの地域でお守りとなったのでしょうか。ひがし茶屋街のとうもろこしは、卯辰山のふもとの長谷山観音院にて祈祷をうけたものです。これは年に一度、四万六千日(しまんろくせんにち)と呼ばれる縁日にて買うことができます。観音菩薩をご本尊とする寺では、功徳日と呼ばれる日に縁日がひらかれます。功徳日には、参拝すると1日で100日分や1000日分のご利益があるとされており、中でも最大の功徳日が旧暦の7月9日(新暦8月15日~30日くらい)で、この日はなんと46000日分ものご利益があるそうです。これが四万六千日です。このような大きな数字になった理由としては、米一升が米46000粒ほどであることから、一升と一生をかけて生涯困らないという意味だとする説や、また46000日が126年ほどで、これが人の寿命の最大値に近いからという説などがありますが、定かではありません。しかしながら、この風習は江戸時代から続く由緒のあるものです。

年に一番の賑わいを見せる、長谷山観音院の四万六千日。この日に参拝すると46000日分のご利益があるという。

魔除けになるというとうもろこし。古くは雷除けの御守りが転じて、家内安全や無病息災の御守りにもなった。

長谷山観音院は、ひがし茶屋街の奥。観音町から観音坂を上がったところにある
 

1200年もの歴史がある長谷山観音堂

ひがし茶屋街よりやや浅野川沿いにある通り一帯は、令和元年に、旧町名の観音町を復活させました。このことからも、長谷山観音院が地域で大変に愛されていることがわかります。ご本尊に祭られる十一面観音菩薩は、観音様が人々をお救いになる際にみせる様々な様態の一つです。年に一度、四万六千日のときだけご開帳される貴重なご本尊は、1200年も前に制作されたものとされています。金沢の地名の由来にもなった「芋ほり籐五郎」の伝説には、その妻の和子が「長谷観音様のお告げによって」籐五郎へ嫁入りに来る、というくだりがあり、古くから地域の人たちの信仰を集めていたことがしのばれます。長谷観音をまつる寺は奈良大和の長谷寺を筆頭に全国に260以上あるそうですが、かつては大和、鎌倉と並んで、加賀の長谷観音とうたわれ、名刹としてその存在を知られていました。

前田家の安産祈願やお宮参りの祈祷書でもあった長谷山観音院。

青々としたとうもろこし。一年間、門守として軒先につるされる。

とうもろこしをお守りとする風習が残っているのは、全国的に見ても稀。

世の安寧に貢献してきた観音院

この長谷山観音院の社殿は、徳川家から前田利常公に輿入れした珠姫より寄進されたものです。そのため、ご本尊を祀る厨子には徳川家の葵紋と前田家の梅鉢紋が並んであしらわれています。藩政期を通じて前田家の安産祈願・お宮参りの祈祷所として大切にされていました。なお、珠姫の御輿入れは、当時徳川家と前田家の間に漂っていた剣呑な雰囲気を和らげるため、という政治的な色合いの濃いものでした。そういう意味で、両家の友好を象徴するようなこの寺は、その後の加賀藩の発展をみると、格別なものだといえるでしょう。
浅野川大橋から観音町を通り、観音坂を上って長谷山観音院をめぐる街並みは、風情豊かで散策にもお勧めです。軒下に飾られるとうもろこしを眺めながら、世の安寧への願いに思いをはせてみてはいかがでしょうか?