にし茶屋街で育った天才作家の軌跡
金沢の文豪といえば泉鏡花、室生犀星、徳田秋声の三文豪が有名ですが、大正時代に彗星のごとく現れ、たちまち文壇から消えていった一人の天才作家がいたことをぜひ知っていただきたいと思います。
その作家の名は島田清次郎(しまだせいじろう)。若干20歳で刊行した自伝的小説『地上』が、総計50万部という大ベストセラーとなり、一躍時の人となりました。『地上』は後にテレビドラマ化、映画化され、彼の生涯を描いた『天才と狂人の間―島田清次郎の生涯』(杉森久英)は直木賞を受賞しており、その名をご存じの方も多いかもしれません。
彼が生まれたのは明治32年(1899)。幼い頃に父を亡くし、母の実家があるにし茶屋街に身を寄せました。茶屋街という環境と、母子での貧しい暮らしは、彼に大きな影響を与えたといわれています。成績優秀で神童ともよばれた彼は、前述の通り20歳で『地上』を出版して時代の寵児に。天才作家として一世を風靡したものの、尊大な態度やスキャンダルによって凋落(ちょうらく)し、精神を病んで31歳の若さで亡くなりました。
島田清次郎が幼少期を過ごした「吉米楼」の跡地には、お茶屋の建物を再現した金沢市西茶屋資料館があります。1階では彼の生涯や作品についてパネルなどで詳しく紹介しているので、天才と呼ばれた作家の数奇な人生に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。