金沢の茶道の歴史は大樋焼とともに
客人があれば和菓子と抹茶でもてなし、市内随所の茶室では今も頻繁にお茶会が行われるなど、金沢の暮らしにしっかりと根を下ろす茶道文化。茶の湯が金沢で盛んになったのは前田家が加賀藩主となってからで、千利休に師事した藩祖・前田利家をはじめ、代々の藩主たちは名だたる茶人と交流を重ねてきました。
太平の世となった江戸時代、外様大名ながら百万石もの大藩を治めた前田家は、幕府の警戒心を解くために文化施策に力を入れます。当代きっての茶人を呼び寄せ、腕利き職人を抱えて工芸美術を奨励。そんな中で寛文6年(1666)、5代藩主前田綱紀が裏千家開祖の千仙叟宗室を茶道茶具奉行として召し抱えた際に、仙叟に伴って京都からやってきたのが大樋焼の始祖となる土師長左衛門でした。
長左衛門は、千家の茶碗師・樂家四代一入の弟子。河北郡大樋村(現在の金沢市大樋町)より良質の土を見い出し、楽焼の技法で仙叟好みの茶道具を次々に創作します。これが大樋焼の始まりで、後に彼は姓を大樋と改名。大樋焼の伝統は代々の長左衛門の名によって受け継がれていきました。現在の大樋長左衛門は、十一代。十代長左衛門(現在の大樋陶冶斎)の後を受けて2016年に襲名し、茶陶に留まらず陶壁や空間プロデュースなど、世界を舞台に活躍しています。
大胆な創作のアートの数々は見ごたえたっぷり
大樋飴釉海老摘手付水指は石川県指定文化財。初代大樋長左衛門作
大樋美術館外観