2019.05.20

歴史ロマンに彩られた、加賀藩前田家の祈願所

歴史ロマンに彩られた、加賀藩前田家の祈願所

金沢のまちで前田家の足跡をたどる

加賀藩の藩祖である前田利家は、天文7(1539)年に尾張国(現:名古屋市)で生まれ、織田信長、豊臣秀吉に仕えた戦国武将。豊臣家の重臣時代に加賀・越中を与えられ、加賀百万石の礎を築きました。江戸時代になると、三代利常が将軍の息女を娶り、四代光高から十四代慶寧(よしやす)まで、すべての藩主がその当時の将軍から一字を拝領するほど幕府と親密な関係を築いたこともあり、加賀藩の城下町金沢は、江戸・京都に次ぐ繁栄を見せました。金沢のまちには、前田家と縁が深い歴史的建造物が数多く残されており、今回はその中から8つの神社仏閣をご紹介します。

加賀藩前田家ゆかりの寺院8選

宝円寺(ほうえんじ)

加賀藩祖、前田利家が信頼の厚い大透圭徐(だいとうけいじょ)禅師を招いて創建しました。利家の葬儀もこの寺で行われたほど前田家とのつながりは深く、代々藩主一族の位牌を安置する前田家菩提寺です。五代綱紀の時代には「北陸の日光東照宮」と呼ばれ、絢爛豪華な伽藍を誇っていましたが、明治元年(1872)の火災で焼失、その後再建されました。境内には、利家の自画像と髪を納めた小さな御影堂・御髪堂があり、山門や本堂などは国の登録有形文化財になっています。最近は開かれた寺として、ヨガや英会話など、多彩なジャンルのイベントを開催しています。境内自由。堂内拝観500円、9時~16時(法要日は不可)。
住所:金沢市宝町6-14/TEL:076-231-6050

珠姫の寺 天徳院(たまひめのてら てんとくいん)

三代利常が正室珠姫の菩提を弔うため創建しました。珠姫は、慶長4年(1599)に将軍徳川秀忠の次女として誕生。わずか3歳で江戸から加賀藩に輿入れし、24歳で亡くなるまで徳川・前田両家の融和に尽くしました。珠姫の母は織田信長の姪にあたり、織田・徳川の血筋を引く珠姫は、当時の日本で相当セレブなお姫様だったと言えるでしょう。政略結婚でしたが利常との夫婦仲はよく、実父である将軍秀忠に「参勤交代中の夫を早く国元に帰してほしい」という手紙を出したというエピソードも残っています。寺では珠姫の生涯を紹介する、からくり人形の上演も行われています。堂内拝観500円、9時~16時30分(季節により変動あり)、無休(冬期の水曜と年末年始は休)
住所:金沢市小立野4-4-4/TEL:76-231-4484

尾山神社(おやまじんじゃ)

藩祖利家が慶長4(1599)年に逝去し、跡継ぎの利長は、利家を神として祀る寺社を建てたいと願ったものの、外様の身ゆえに幕府への遠慮から実現できませんでした。明治6(1873)年、旧加賀藩士たちが前田家の威光を象徴する建築物をつくりたいと、利家を祭神として建立したのがこの神社です。さらに時は流れ、正妻お松の方が合祀されたのは平成10年のことでした。神社のシンボルとしてよく知られているのが、和・漢・洋の3つの様式を取り入れた神門です。オランダ人のホルスマンのよる設計で、ステンドグラスが施された斬新なデザインが印象的です。境内自由。お祓い時間は9時30分~15時30分。
住所:金沢市尾山町11−1/TEL:076-231-7210

如来寺(にょらいじ)

三代利常の正室珠姫の命で将軍の位牌所となり、その後、四代光高の正室清泰院の位牌所にもなりました。100畳もの広さがある本堂は江戸時代後期の寺院建築の様式を留め、金沢市の文化財に指定されています。本堂は、例年8月1日~5日ごろの正午~午後3時まで、お昼寝の場として一般に開放されており、心地よいお昼寝タイムを過ごせます。境内は、春に牡丹約300本、初夏にはシャクヤクやアジサイが咲き誇る花の名所でもあり、紅葉や雪景色も格別です。境内右奥の石仏公園には、参道の改修を機に一般市民の手でつくられるようになった石仏1000体以上が並びます。境内自由。堂内拝観は要予約。
住所:金沢市小立野5-1-15/TEL:076-221-0833

経王寺(きょうおうじ)

藩祖利家が没してから2年後の慶長6年(1601)、利家の側室で、三代利常の生母寿福院(千世・千代保)が創建しました。境内には「宝暦第六(1629)暦五月二十九日」の銘が入った五重石塔が佇んでいます。少し離れた墓地には、六代吉徳の側室で、お家騒動「加賀騒動」に関与した罪で幽閉され、43歳で没した真如院の墓所があります。最近では、真如院は冤罪であったという見方が一般的で、同じ側室でありながら藩主の生母となった寿福院と、罪人として悲劇的な最後を迎えた真如院というふたりの女性の人生に思いを馳せつつ訪れたい古寺です。境内自由。堂内拝観は要予約。
住所:金沢市小立野5-9-2/TEL:076-221-487

椿原天満宮(つばきはらてんまんぐう)

学問の神として知られる菅原天神をご神体とし、応仁5年(1297)に京都北野天満宮よりこの地に迎えられました。鳥居から拝殿までは、急で長い階段が続き、拝殿からさらに階段を上がったところに本殿がある急峻な地形は、かつてここが一向一揆の椿原山砦だったころの名残を感じさせます。江戸時代に前田家の祈願所となり、金沢を代表する5つの神社の総称「金沢五社」のなかでも筆頭格とされました。ところで、天満宮といえば梅を連想しがちですが、この神社は名前の通り椿が名物。10月~3月にかけて、何種類もの椿が咲き誇る光景を楽しめます。境内自由。祭事以外は堂内拝観可能。お祓いは要予約。住所:金沢市天神町1-1-13/TEL:076-231-3827

全性寺(ぜんしょうじ)

二代利長に従って各地を転々とし、天明6年(1786)に現在地に寺庵を構えました。卯辰山山麓寺院群のなかでも、目を引く朱色の表門は、18世紀後半に建てられたもので、その門の色から「赤門寺」の別名があります。門には金剛力士像が安置されており、そのたくましい姿にあやかろうと、身体健全や子どもの発育健全、足腰の病気治癒を願って奉納されたわらじぶらさがっています。本堂に安置する不動明王は十代重教の守本尊で、重教が世嗣となった折に生母である実成院が預けたものだとか。泉鏡花作『夫人利生記』の舞台にもなっており、幻想的な鏡花の世界に浸ってみるのもおすすめです。境内自由。堂内拝観は要予約。
住所:金沢市東山2-18-10/TEL:076-252-8404

宇多須神社(うたすじんじゃ)

養老2年(718)に多聞天神社として創建され、江戸時代初期に二代利長の命で卯辰八幡宮に改称しました。実はこの改称、幕府に知られることなく藩祖利家を祀るためのカモフラージュでした。江戸時代には幕府に内密で利家を祀り、明治時代に利家を祭神とする尾山神社が創建された後に現在の名になりました。境内には、五代綱紀の病を平癒した「利常公酒場の井戸」があることからパワースポットとしても注目を集めています。最近は、ここで結婚式を挙げ、神社があるひがし茶屋街を花嫁道中するウエディングスタイルを見かけることもあります。境内自由。お祓いは要予約。
住所:金沢市東山1-30-8/TEL:076-252-8826