ジャパンクタニと称される色絵磁器
九谷焼の歴史は明暦年間(1655~57)年にまでさかのぼり、加賀藩の支藩であった大乗寺 藩(現在の加賀市周辺)の初代藩主・前田利治が九谷村で生産を命じたことに始まると 伝わります。わずか50年後、九谷焼は忽然と姿を消しますが、その間多くの名品が生まれ、この時代につくられたものは後に古九谷と呼ばれるようになりました。それからおよそ 100年後の文永3年(1806)、加賀藩は京都から名工を招き、金沢城近くの卯辰山に窯を 開きました。その後、城下に多くの窯が誕生し、それぞれの作風を確立。再興された金 沢九谷は、明治時代になると盛んに輸出され、博覧会等でジャパンクタニと称賛を浴び るように。その伝統の技は今も金沢のまちにしっかりと息づいています。