2018.09.20

男川「犀川」と女川「浅野川」。二つの河川で橋めぐり

男川「犀川」と女川「浅野川」。二つの河川で橋めぐり

生活に密着した金沢の橋にまつわる物語10選

金沢城跡の両脇を平行するように流れる犀川と浅野川。雄々しい流れの犀川は「男川」、優美な流れの浅野川は「女川」と呼ばれています。2つの河川のうち、浅野川には金沢独自の習わしが伝わります。それが「七つ橋渡り」。彼岸の中日の真夜中0時から、浅野川に架かる七つの橋(常盤橋、天神橋、梅の橋、浅野川大橋、中の橋、小橋、昌永橋)を無言で渡ることで、長患いで他人の世話にならずに逝くことを願うという風習です。今回は、七つ橋を含め、ふだん何気なく通っている犀川と浅野川の“橋”にフォーカスして紹介します。

七つ橋渡り・常盤橋(ときわばし)

七つ橋渡りでは最も上流に位置し、昭和33年(1958)に卯辰山と金沢の中心部を結ぶ通路として架設されました。比較的新しい橋ですが、高欄の疑宝珠や、ゆるやかな放物線を描く橋のラインが卯辰山を背景とした周辺の美観と調和し、ノスタルジックな雰囲気を醸し出しています。また橋の周辺には、市街地を見渡す眺望スポットとしてもおすすめの常磐町緑地やユーモラスな表情の不動明王が安置された常盤滝不動尊があり、木立の中の散策が楽しめます。

七つ橋渡り・天神橋(てんじんばし)

北島三郎の名曲「加賀の人」にも登場し、地元ではお馴染みの橋です。もともとは一文橋という名で、享保19年(1734)に描かれた絵図にも記されています。慶応3年(1867)に、加賀藩最後の藩主前田慶寧が卯辰山を開拓して養生所を開いた際に新たに架けられました。当初は甦橋(よみがえりばし)と命名されましたが、卯辰山に天神さんを祀った社があったため、いつしか天神橋と呼ばれるように。現在の橋は昭和30年(1955)に架けられ、幻想的なライトアップも行われています。

七つ橋渡り・梅の橋(うめのはし)

梅の橋の名前は、犀川に架かる桜橋に対して命名されたともいわれています。木製の橋には石川県の木であるアテが使用されており、歩行者と自転車のみが通行可能。ライトアップされた姿も格別の美しさです。周辺は泉鏡花の名作『義血・侠血』の舞台にもなっており、橋のすぐ近くに作品にちなんだ滝の白糸碑やヒロインをかたどった像が建てられています。その対岸には文豪徳田秋聲の記念館もあり、下流の中の橋まで続く「秋聲の道」は格好の散策路です。

七つ橋渡り・浅野川大橋(あさのがわおおはし)

交通の要所に位置し、ひがし茶屋街にも近いことから、多くの人や車が利用しています。長さ55m、幅員17mのアーチ橋は、平成12年(2000)に国の登録有形文化財に指定されるなど、土木遺産としても貴重な存在です。橋には行燈型の照明や唐草風模様の欄干など、随所に大正ロマンを感じる意匠が施され、橋のたもとには昔ながらの火の見櫓も復元。ライトアップされた橋上は、川面と主計町茶屋街を背景とした記念撮影スポットとしても人気です。

七つ橋渡り・中の橋(なかのはし)

上部が木でつくられた橋は、城下町風情もひとしお。歩行者専用橋のため、車を気にせず記念撮影ができます。天保年間(1830~1844)には主計町の坂井家が橋を所有し、明治42年(1909)年まで橋を渡るごとに一文を支払ったことから、一文橋とも呼ばれていました。金沢出身の作家、泉鏡花ゆかりの橋でもあり、『化鳥』、『照葉狂言』の舞台となったことから、多くの鏡花ファンが足を運びます。昼とはまた違う装いを見せるライトアップも魅力です。

七つ橋渡り・小橋(こばし)

長さ35mのこぢんまりとした橋ですが、クラッシックな街灯など、随所に趣が感じられます。現在はひっそりとした佇まいを見せますが、橋のたもとに立つ案内標柱には「藩政時代、小橋は犀川大橋、浅野川大橋とともに金沢の三ツ橋と呼ばれ、金沢城防衛所の重要な拠点であった」と記されており、古くから金沢のまちにとって欠かせない存在でした。橋の周囲には浅野川を一望できるカフェや金沢市指定保存建造物の名店があり、橋を中心とした散策もおすすめです。

七つ橋渡り・昌永橋(しょうえいばし)

細い生活道路に架かり、浅野川の七つ橋渡りでは最も下流に位置します。この場所に最初に橋が架けられたのは明治33年(1900)のことで、以後改修を繰り返し、現在の橋は昭和29年(1954)に建造されました。車がようやく1台通れるほどの狭い橋は、部材を三角形になるよう接合したトラス橋で、この構造は東京タワーにも用いられています。地域の人々に親しまれ、昭和41年(1966)に誕生した昌永町の町名もこの橋の名に由来しています。

犀川大橋(さいがわおおはし)

浅野川大橋と並び、金沢を代表する橋です。犀川に架かる最初の大橋は加賀藩の藩祖、前田利家が文禄3年(1594)に建てたと伝わり、当時の金沢図にも「城下一の大きさ」とあります。江戸時代には西から金沢へ入る唯一の関門であり、橋番が通行人の取り調べにあたっていました。大正11年(1922)の洪水で崩壊し、同13年に現在の橋脚のない釣り橋式となりました。平成12年(2000)には国の登録有形文化財に指定され、河川敷の芝生広場は憩いの場として親しまれています。

御影大橋(みかげおおはし)

犀川に架かり、交通の要所に位置する、長さ108.6m、幅員の24.5mの大橋です。金沢における戦後初の永久橋(増水時も使用可能な橋)として架設され、その後、改修を重ねてきました。現在の橋は「浪漫の風ふくまちづくり」をテーマに、平成18年(2006)に完成。橋としての機能はもちろん、都市景観に配慮した色や形が特徴で、下流側に設けられたモニュメントのような歩行者・自転車専用橋には、橋名にちなんだ御影石が使われています。

桜橋(さくらばし)

犀川中流部に架かる橋で、藩政時代から寺院が集まる寺町台地につながっています。昭和20年代に金沢市の都市計画事業の一環として架けられ、その後、水害による流失と再建を経て現在の姿に。名前にちなんだ桜色の手すりが周囲の景観に映え、ところどころに施された桜の模様もお洒落な雰囲気。河畔には桜の木もあります。犀川大橋や御影大橋より山側に位置することから、橋上には雄大な犀川の流れと医王山の稜線を一望する素晴らしい眺望が広がります。