2018.08.05

市内を貫く二本の川と台地。ゆえに坂の多い金沢の坂道散歩

市内を貫く二本の川と台地。ゆえに坂の多い金沢の坂道散歩

歴史を秘めた情緒ある金沢の坂道10選

金沢市内を流れる2つの川。大らかな流れの犀川は男川呼ばれ、たおやかな流れの浅野川は女川と呼ばれています。この2つの川の両岸には、寺町台地や小立野台地、卯辰山などの高台があります。そのため坂道が各所に点在。また、江戸時代の古地図が使えるほど町中の変化が少ないため、古くからの坂道も数多く残っています。くねくね曲がる坂道は、登っても降りても先が見えずとてもミステリアス。今回はそんな行く先の想像をかきたてる坂道をご紹介します。
(メイン画像:主計町茶屋街にある暗がり坂)

子来坂(こぎざか・こらいざか)

ひがし茶屋街のそばにある宇多須神社から卯辰山公園につながる坂道です。卯辰山が公園として開拓されたのが慶応3年(1867)。名前の由来は、その作業に従事した住民らが大勢でこの坂を上り、その様子が子どもたちが登っているように見えた説や、卯辰山公園へ子どもがわいわいと賑やかに来てほしいという説があります。上る坂の途中右手には宝泉寺があり、左手には子来町緑地、登り切ると東山蓮如堂があります。車は通行可能ですが軽自動車がやっと通れるくらいです。

観音坂(かんのんざか)

ひがし茶屋街から七稲地蔵で知られる寿経寺を通り過ぎて右手、長谷山観音院への参道として整備された階段坂です。車の通行は不可。木々に覆われた石階段を上ると右手には市街地が見渡せ、風情たっぷり。坂の途中、折れ曲がった箇所に地蔵を祭る祠がありました。明治42年(1909)には階段坂の下、左側に新しい観音坂が整備され、こちらは階段ではなく車が通れる道。観音坂が2つなので、かつての参道を男坂と呼び、新しい坂は女坂と呼ばれています。

暗がり坂(くらがりざか)

かつて、商家が軒を連ねる尾張町の旦那衆が隠れるように主計町茶屋街に通ったとされる階段坂。久保市乙剣宮の脇から主計町の芸妓検番へと抜ける道で、人がやっとすれ違えるほどの狭い石段坂です。建物や樹木の陰でいつも薄暗いことからこう呼ばれています。階段を下りれば昔ながらの格子戸の古い建物が連なり、浅野川の流れも花を添える情緒ある界隈です。この暗がり坂のすぐ近くにもう一つの名無しの階段坂がありましたが、作家の五木寛之氏が「あかり坂」と命名しています。

八坂(はっさか)

国立金沢医療センターと料理店・兼見御亭の間にある坂道。藩政時代このあたりに木こりが通う八つの坂道があったといわれ、その中の一つだけが残り八坂と呼ばれるようになったとか。車道の横に階段状になった歩道があり、わりと真っすぐな坂道です。下っていくと坂下には松山寺(しょうざんじ)があり、ほかにも4つ寺院が並び八坂五山と称されるそうですが、地図でみると六山ありますね。坂の傾斜が強いためか、坂の途中には休憩用のベンチも置かれています。

馬坂(うまさか)

椿原天満宮から約400m、昔は田井村だった天神町にある坂道で、小立野台地の宝町に通じています。古くは農民が田井村の農民が馬をひいて上ったことから馬坂と付いたそうで、幾度となく曲がりくねっていることから六曲がり坂とも。坂の途中の崖には不動明王不動尊の祠があり、かつては崖上にある龍の口から湧水が流れ落ちていましたが、今は水脈が変わったのか出ていませんでした。坂上には高源院や宝円寺など歴史ある寺院が点在しています。狭いですが車は通行可のようです。

天神坂(てんじんざか)

小立野台地、金沢美術工芸大学から椿原天満宮、その先は浅野川へと続く坂道。椿原天満宮(旧社名は田井天神)があることから天神坂と呼ばれており、曲がりくねった狭い急坂です。別名、椿原坂ともいわれます。車道として使用されており、昔は交通量がありましたが、小立野トンネルの完成後は車通りが少なくなっています。ちなみに椿原天満宮は学問の神様、菅原道真を祭り、加賀藩前田家の祈願所になっていました。

嫁坂(よめざか)

小立野通りから小路を入り住宅街の中にある階段坂。本多町に通じています。加賀藩初期というから1600年ごろだろうか。坂の上に住む加賀藩の重臣・篠原出羽守が娘を坂下に住む本庄主馬に嫁がせる時に、嫁入り道具などを運ぶために造った坂道と伝わります。しかし諸説あり、この坂から嫁を蹴落とした、という怖いお話もあります。坂の上からの眺めがよく、坂もきれいに整備され、脇を側溝が流れています。坂の途中には民家も点在しています。車は通行不可。

大乗寺坂(だいじょうじざか)

正応2年(1289)に開かれた曹洞宗の名刹、大乗寺。現在地は金沢市長坂町ですが、創建時は野々市市で、その後数度居を変えています。慶長年間(1600)ごろ~元禄年間(1700)ごろにはこの坂下にあったことから、今でも大乗寺坂と呼ばれています。仏教哲学者鈴木大拙を紹介する「鈴木大拙館」からも近く、ゆるやかに曲がりくねって上る階段坂は本多の森ホールに通じています。うっそうとした樹木が生い茂り、森林浴効果もありそうです。車は通行不可。

石伐坂(いしきりざか)

犀川河畔から寺町台地に上る道。藩政時代には、坂の上に石工の職人町があったことで石伐坂と呼ばれていますが、Wの文字のように折れ曲がって続くことからW坂とも呼ばれる階段坂です。このW坂の名づけ親が金沢にあった旧四高の生徒で、坂の途中には旧四高の出身者でもある井上靖の小説『北の海』の一説に登場するW坂のくだりを刻んだ石碑が立っています。すぐ隣りには桜坂があり、春は桜の名所。坂の途中から見下ろす犀川の景観も美しい。車は通行不可。

蛤坂(はまぐりざか)

犀川の左岸、犀川大橋のたもとから寺町台地の妙立寺(忍者寺)へと抜ける坂道。享保18年(1733)の大火後、道ができたということで、「焼けて口開くハマグリ坂」といわれて名付けられたそう。また、ハマグリの身が開いたようにも見えたという説も。坂道の途中には、木造3階建ての古い建物が見えます。現在も営業している料亭であり、犀川側から見ると4階建てで木造では珍しい建物です。金沢市の指定保存建造物に登録されています。車は通行可能。