加賀藩公認の茶屋街として発展
金沢らしい風景の筆頭ともいえるのが、端正な格子戸の家々が連なる茶屋街です。茶屋街とは、芸妓あそびなど大人の社交場として栄えた江戸時代からの歓楽街のこと。艶やかな風情とともに金沢の茶屋文化をいまに伝えているのが、ひがし・にし・主計町(かずえまち)の3つの茶屋街です。日中は大勢の観光客で賑わう界隈も、軒灯がともる頃になると三味線や太鼓の音が漏れ聞こえ、雅な夜の街へとその表情を変えます。
金沢の茶屋街が誕生したのは文政3年(1820)のこと。それまで城下に点在していた茶屋を加賀藩公認のもと浅野川の東と犀川の西に集め、新たに町割りがなされました。現在のひがし茶屋街界隈には、当時90軒あまりの茶屋が立ち並んでいたといわれます。その後、風紀の乱れから一度廃止されたものの、慶応3年(1867)に再び公認。明治に入ると浅野川沿いに主計町茶屋街も設けられ、以来金沢の茶屋街として発展してきました。
※写真はにし茶屋街です。