加賀藩の祈願所として出城の役割も
妙立寺は、寛永20年(1643)に、加賀藩前田家3代利常(としつね)が祈願所として金沢城近くから現地に移築建立しました。日蓮宗の寺院ですが、地元では「忍者寺」の名で知られています。その由来は、お堂の内部に、落とし穴や隠し階段など、敵をかく乱するさまざまな仕掛けが施され、まるで忍者屋敷のようだからなんです。実は、忍者とは全く関係ないのですが、その不思議さや奇抜さから、妙立寺は金沢観光屈指の人気スポットとなっています。
ではなぜ、そんな仕掛けがあるのでしょう。加賀藩は外様の大大名であり、前田利常が藩主の頃は、幕府との緊張状態が続いていました。城下の整備を進めた利常は、犀川の南に多くの寺院を配して寺町寺院群を形成し、城下の守りを固めました。同寺院群の中で、前田家の祈願所であった妙立寺は、出城であり、城下防衛のための寺だったのではないかと考えられています。
本堂屋根の突端にある望楼。当時は高価なギヤマンがはめ込まれており、遠く加賀平野を見渡せる見張り台だったとか