天下泰平のため、3歳で輿入れ
江戸時代、加賀藩が日本有数の都市として栄えた背景には、繁栄の礎となり、藩の危機を救った一人の女性の存在がありました。それが加賀藩三代藩主前田利常の正室「珠姫(たまひめ)」です。珠姫は慶長4年(1599)に徳川二代将軍秀忠の次女として生まれました。母のお江(ごう)は織田信長の妹、お市の方の娘で、豊臣家とも親戚にあったことから、珠姫は織田家、豊臣家、徳川家という戦国最強の家系につながる姫君でした。
慶長6年(1601)、いまだ天下の情勢が不透明ななか、珠姫が徳川家と前田家の架け橋 となるべく金沢城に輿入れしたのはわずか3歳のときでした。14歳で5歳年上の利常公 と結婚、三男五女に恵まれました。ふたりはたいへん仲睦まじく、珠姫が実父の将軍に 「江戸に滞在中の夫を早く国元に帰してほしい」と手紙を書いたというほほえましいエ ピソードも残されています。
しかし幸せな時間は突然終わりを告げ、元和8年(1622)、珠姫は24歳の若さで亡くな ってしまいます。その死を悼み、利常が妻の菩提寺として創建したのが天徳院です。天 徳院は曹洞宗のお寺で、珠姫の戒名「天徳院殿乾運淳貞大禅定尼(てんとくいんでんけん うんじゅんていだいぜんじょうに)」から名づけられました。お寺の趣は壮大さと優美さ を兼ね備え、ひたむきに生きた一人の女性の生涯をたどることができます。
写真:元禄7年(1694)に造営された山門。大火で多くの堂宇が焼失したなか、火の手をまぬがれて現在に至る
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