2023.07.20

質実な武家を彷彿とさせる端正なたたずまいが魅力

質実な武家を彷彿とさせる端正なたたずまいが魅力

有能な官吏と風流人、2つの顔を持つ寺島蔵人

寺島蔵人邸は、加賀藩の中級武士、寺島家の屋敷です。安永6年(1777)に現地を拝領して屋敷を構えたとの記録があることから、18世紀後半の建築と考えられています。

家屋の一部縮小改築はありますが、現存の庭園や家屋は、約250年前の江戸時代の様子をよく遺していて、昭和49年(1974)に金沢市指定史跡となりました。昭和63年(1988)に金沢市に寄贈されますが、それまで子孫の方がずっと居住されており、実に堅牢な建物であることが推察されます。

そして、館名に冠されている寺島蔵人(1777~1837)とは、11代当主であり、寺島家を代表する人物です。享保元年(1801)に、加賀藩士の原家から寺島家へ養子に入りました。主に農政や財政方面の実務に携わり、その有能さで、加賀藩主前田家12代斉広(なりなが)による藩政改革の一員に抜擢されたほど。

ところが、斉広が急死し、勤勉家で正義感が強い蔵人は、藩の重臣による政治を批判。天保8年(1837)に能登島流刑となり、同年、彼の地で生涯を閉じました。

蔵人は公務に邁進する一方で、画をよくする文化人としても知られ、著名な文人画家、浦上玉堂(1745~1820)と親交を結びました。自身も「王梁元(おうりょうげん)」や「応養(おうよう)」という号で多くの作品を遺しています。

武家の暮らしに思いを馳せる

公開されているのは庭園と家屋の1階で、座敷、茶室、展示室、そして文化5年(1808)に寺島邸を訪れた浦上玉堂が琴を弾いたと伝わる4畳間を見ることができます。座敷は13畳半の間に一間半の床(とこ)がある広々とした空間で、障子の向こうに広がる庭園を眺めながら、ずっと座っていたくなる心地良さがあります。
江戸時代の昔、寺島家を訪れた客人もここで庭を愛でながら、もてなしを受けていたに違いない、と思わされました。

座敷から眺める庭園は一幅の絵のよう。浦上玉堂の手になる扁額「乾泉」(複製)も展示。館内は撮影自由(フラッシュはNG)

寺島家に20日ほど滞在したという浦上玉堂。七弦琴を奏したという小間があり、玉堂の書「黄松琴処(おうしょうきんしょ)※複製」の額も

樹齢300年越え!ドウダンツツジの名所

庭園は、池を中心にした池泉回遊式庭園で、散策しながら楽しめます。池には水がなく、蔵人はこれにちなんで書斎を「乾泉亭(かんせんてい)」と名付け、浦上玉堂が「乾泉」の扁額を遺しました。園内には、ツバキやサザンカ、イロハモミジなど200本を越える樹木が植栽され、四季折々の表情を見せてくれます。なかでも、樹齢300年以上と伝わる十数本のドウダンツツジが名物。春は白くて可憐な花が咲き誇り、秋は赤や黄色に色づく紅葉が見事で、金沢の風物詩となっています。

ドウダンツツジの開花は4月中旬、紅葉は11月中旬が見ごろ

庭園は用意された草履で散策できる

美術史に名を刻む大家の作品も

寺島家には、絵画、文具、武具、馬具、茶器など、代々伝わる所蔵品が170点以上あります。展示室には、蔵人愛用の馬具「象嵌牡丹に扇文鐙」や軍陣で指揮に使う「采幣(さいはい)」といった武家らしい道具が常設展示されています。また。所蔵絵画の中には蔵人の作品のほかに、浦上玉堂をはじめ、狩野探幽や池大雅、岸駒、伊藤若冲など有名な画人の作品も含まれており、時節に合わせて公開されます。

蔵人の絵画を中心に、親交のあった文人や画人の作品を展示

江戸時代の資料が展示されている

抹茶をいただきながらお茶室拝見

お茶室は、呈茶を希望すれば入室可能です。柔らかな自然光の中で、心静かにお抹茶をいただける空間。障子を開けて庭園を観賞することもでき、座敷からの眺めとは違った趣があります。また、茶道口の襖にさりげなく貼られている書は、蔵人の実家、原家の家族からの手紙や和歌とのこと。江戸時代に暮らす人々の息づかいが感じられました。

傾斜のある掛込天井(かけこみてんじょう)が5畳の茶室に高さを感じさせ、広がりをもたらしている

抹茶碗は「乾泉」の文字が入った九谷焼、紅白の干菓子は寺島家の家紋「丸に三ツ星」を象った落雁で、ともに特注品

武家屋敷 寺島蔵人邸

ぶけやしき てらしまくらんどてい

TEL:076-224-2789
住所:石川県金沢市大手町10-3
時間:9時30分~17時(入館は~16時30分、呈茶は~16時)
休日:火曜(祝日の場合は翌平日) 年末年始(12月29日~1月3日) 展示替え期間
料金:入館310円 呈茶料350円
駐車場:なし