ドラマチックな家の成り立ち
前田土佐守家は、加賀藩の藩祖、前田利家と正室まつ(利家の死後は芳春院と号します)の次男、前田利政を家祖とし、藩主前田家の分家筋に当たります。
ただ、利政自身は、関ヶ原の合戦に参戦しなかったため蟄居となり、能登の領地を没収され、亡くなるまで京都で隠遁生活を送りました。
利政を気遣った母の芳春院は、利政の長男である直之を、自ら養育。加賀藩前田家3代の利常に仕えさせたことから、同家は重きを置かれるようになり、藩主を補佐する重臣「年寄衆(としよりしゅう)」の一家として、幕末まで加賀藩の要職を務めることになりました。
同家は明治以降も存続し、現当主は利政から数えて14代目です。
この資料館は同家伝来の資料、約9000点を所蔵しています。
歴代当主が保存・整理に努めたので散逸が少なく、約6000点が古文書で、ほかは武具、書画、調度品など。前田土佐守家の家格の高さから資料には藩主の自筆書状も多く、加賀藩上級武士の暮らしを知る上で、貴重な資料が揃っています。
江戸時代や武家の生活に興味ある方には特におすすめのスポットです。
芳春院(前田利家の正室まつ)の座像(京都大徳寺芳春院所蔵)。上級武家の床の間を再現したもので、芳春院の座像は京都の大徳寺芳春院(芳春院が創建)にある画像をもとに制作したもの
芳春院(前田利家の正室まつ)の自筆書状