2022.08.23

近代日本に功績を残した金沢ゆかりの人物~金沢ふるさと偉人館~

近代日本に功績を残した金沢ゆかりの人物~金沢ふるさと偉人館~

近代日本で活躍した偉人を紹介

金沢21世紀美術館から徒歩2分、兼六園からは徒歩4分ほどと、金沢の観光エリアに位置する「金沢ふるさと偉人館」。平成5年(1993)に、国際的や国家的に業績があった金沢ゆかりの人物を紹介する文化施設として金沢市が開設しました。当初は高峰譲吉、三宅雪嶺、木村栄、藤岡作太郎、鈴木大拙の5人を紹介していましたが、後に、近代日本を支えた偉人たちとして15人を加え、さらに簡易展示などを増やし現在は33人を紹介しています。

ここに来れば、さまざまな分野で近代日本の金沢や日本国内のみならず世界にも功績を残した金沢ゆかりの偉人たちについて学ぶことができます。どの年代のどんな分野で活躍したのか、その人となりや業績、及ぼした影響などを知ることができます。展示のあちこちには「注目」と書いたワンポイント説明があるので、見逃さないで見て回りましょう。

偉人たちを8つの分野に分けて紹介

展示会場は階段を上った2階です。功績を8つのテーマにくくり、人物それぞれをブースごとに分かりやすく紹介しています。「注目」展示のなかには、エジソン直筆サイン入りの手紙もありますので、見つけてみて!

【1.日本近代科学の創始者たち】

1のブースは、高峰譲吉、桜井錠二、木村栄、藤井健次郎の4人のコーナー。 嘉永7年(1854)、富山県高岡市に生まれ、金沢市に移住した高峰譲吉は化学者です。イギリスで応用化学を学び、タカジアスターゼの発明とアドレナリンの抽出・結晶化に成功。またそれをきっかけにアメリカで事業に結びつけ、財を成した実業家でもあります。 天文学者の木村栄は明治3年(1870)金沢市の生まれ。幼少期から優秀だったそうで、4歳で書いたという書を展示しているのですが、上手すぎます!木村氏は星の観察でZ項を発見した人物。Z項とは緯度経度変化の公式で現在も世界的に使われているものだそうですが、素人にはよく分かりませんでした(^_^;) 理論化学の重要性を説いた桜井錠二、遺伝子を命名した藤井健次郎も興味深いですね。

右から2番目が4歳で書いた木村栄の書だそう。天才ですね!

【2.創造的技術に挑んだ人たち】

2は八田與一と飯盛里安のコーナーです。 明治19年(1886)、金沢市生まれの八田與一は、東京帝国大学を卒業後水利技術者になります。台湾に渡り、昭和5年に烏山頭(うさんとう)ダムを完成させました。さらに豊かな水を運ぶ水路を作り、台湾・嘉南平野の農業や上下水道の整備などに大きく貢献したそうです。
明治18年(1885)、金沢市に生まれた飯盛里安は放射化学者で理学博士です。理化学研究所で放射能鉱物などの研究と分析を行い、日本で最初に放射能検知器を製作しました。

右から2番目が4歳で書いた木村栄の書だそう。天才ですね!

【3.日本の真と美を見つめた人びと】

小野太三郎、三宅雪嶺、桐生悠々の3人を紹介するコーナーです。 万延元年(1860)金沢市生まれの三宅雪嶺。近代日本を代表するジャーナリストで、雪嶺はペンネームで本名は雄二郎です。哲学者、評論家として活躍し、またヨーロッパではなく日本を見つめる国枠主義者としての思想をもち、政治評論団体「政教社」を設立。冊子『日本人』を創刊しました。『中央公論』などにも論説を発表していたそうです。 小野太三郎は、自宅を開放し恵まれない人の救護活動を自費で実施。個人としての社会福祉事業を日本で最初に実践しました。桐生悠々は金沢市生まれ、反権力の言論で知られるジャーナリストです。

雪嶺の妻は、田辺花圃のペンネームで小説『藪の鶯』を発表しています

【4.明治三年の奇跡】

藤岡作太郎、西田幾多郎、鈴木大拙、井上友一、山本良吉、北条時敬の6人のコーナーで、なんと全員が明治3・4年(1870・1871)生まれ!1.に登場した天文学者の木村栄も明治3年でしたから、この年は天才輩出の年だったんですかね。 国文学者で文学博士の藤岡作太郎は金沢市生まれ。『国文学全史平安朝篇』の論文で日本最初の文学博士になったそうです。地元の北國新聞に随筆や小説を連載していましたが、39歳の若さで亡くなっています。 大正4年(1915)に東京都府知事を務めた井上友一、私立武蔵野高等学校の校長まで勤め上げた教育者の山本良吉、第四高等学校や広島高等師範学校の校長、東北帝国大学の総長を務めた北条時敬を紹介しています。 西田幾多郎は(2019.11.05)「石川県西田幾多郎記念哲学館」で、鈴木大拙は(2018.07.20)「鈴木大拙館」の記事でも紹介していますので、参考にしてください。

前田家の依頼で藤岡作太郎が執筆した5代・前田綱紀の伝記も展示

【5.近代美の巨匠たち】

松田権六、谷口吉郎、蓮田修吾郎の3人を紹介。 漆芸の蒔絵師として人間国宝に選ばれた松田権六は、明治29年(1896)金沢市生まれ。古典的な漆芸の技を磨き、一方では現代的な独自の技を見いだした蒔絵螺鈿などの見事な細工の数々が有名です。漆工芸の歴史に名を刻む名匠です。松田権六については国立工芸館(2020.12.05)でも紹介しています。 金工の近代化に貢献した蓮田修吾郎は「金属造型」という新分野を開拓しました。谷口吉郎は(2019.10.05)「谷口吉郎・吉生記念金沢建築館」でも詳しく紹介しています。

松田権六の小学生時代作品も展示。才能の片鱗が見えます

【6.産業に尽くした人びと】

横山隆興、関澤明清、野口遵、安宅彌吉の実業家を紹介する4人のコーナーです。 嘉永元年(1848)に生まれた横山隆興は、加賀藩家老の三男であり実業家。現在の小松市にある銅山、尾小屋鉱山(1878年開山-1971年閉山)の経営や加州銀行の頭取などを歴任。明治後期に建てられた別荘の旧横山家庭園(金沢市寺町)は、現在は辻家庭園として見学(有料)が可能です。 サケの人工孵化に取り組んだ関澤明清、学生時代は「けんか大将」といわれた実業家で旭化成や積水ハウスの創業者・野口遵、鈴木大拙に資金を援助した実業家・安宅彌吉を紹介。有名実業家ならではのスケールの大きな生き方が印象に残ります。

近代日本を支えた実業家たちの偉業に驚きます

【7.美と自然を愛した人びと】

7のコーナーは北方心泉、細野燕台、中西悟堂の紹介で、書家、茶人、愛鳥家のほっこりするコーナーです。 注目したいのは、書道家・篆刻家であった北大路魯山人と交流があった細野燕台です。明治5年(1872)金沢市生まれで、北方心泉に書を学び、茶道や書画骨董などにも造詣が深かったそうで、いわゆる風流人なのでしょうか。まだ世に知られてなかった魯山人が金沢に滞在した際に燕台はその才能を認めており、魯山人に加賀山代温泉の旅館の篆刻看板を彫る仕事を提供。山代の地で魯山人は九谷焼と出会い、焼き物に目覚め、陶芸家、料理家、美食家などの顔が加わりました。燕台はその後、魯山人が開いた「星岡茶寮」の顧問となり上京しています。 この細野燕台に書を教えたのが僧侶で書家の北方心泉です。また、日本野鳥の会を創設した愛鳥家の中西悟堂の人となりを知ることができます。

燕台は上京後、百貨店などの美術プロデューサーとしても活躍したそう

【8.金沢市内小学生のリクエストによる偉人たち】

8のコーナーは、「金沢三文豪」とよばれる徳田秋聲、泉鏡花、室生犀星を紹介。ほかに、金沢の電気事業に尽力した森下八左衛門、日本で最初にマッチ製作の工場を作った清水誠、女子教育に力を注いだ加藤せむ、西洋数学の研究・教育の第一人者だった関口開、ロサンゼルスオリンピック男子三段跳銅メダリストの大島謙吉の紹介です。 また三文豪については、徳田秋聲(2018.05.20)「徳田秋聲記念館」、泉鏡花(2018.01.20)「泉鏡花記念館」、室生犀星(2018.03.20)「室生犀星記念館」でも紹介しています。

三文豪のコーナー。三人の各記念館も訪れてみては?

 

金沢ふるさと偉人館(かなざわふるさといじんかん)

 

TEL:076-220-2474
住所:石川県金沢市本多町6番丁18-4
時間:9時30分~17時(入館は~16時30分)
休日:月曜(祝日の場合は翌平日)、12月29日~1月3日
料金:入館310円
駐車場:なし