金沢の歴史

前田利家の入城から始まった金沢の歴史

大河ドラマ『利家とまつ』で脚光を浴びた前田利家は、加賀百万石の城下町を築いた初代加賀藩主です。尾張国の土豪、前田利昌の子として生まれ、青年時代は血気盛んで「傾奇者(かぶきもの)」と呼ばれていました。織田信長に仕えた後は幾多の手柄を挙げ、金沢城に入城。初代加賀藩主として入城後は、加賀、能登、越中(富山県)を統治。2代藩主利長の時代には、120万石の大藩となっていました。そんな財力をつけた外様大名に、幕府は監視の目を光らせます。その目をそらすために、文化奨励策を実施し、藩は茶道や能を全面的に支援。武士をはじめ商人や町人までもたしなんだといいます。おのずとこれらに必要な調度品などの制作が盛んになり、伝統工芸品が発達していったのです。

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城下町金沢の礎を築いた前田利家

金沢と前田利家

前田利家は尾張国の土豪で荒子城主、前田利昌の四男として生まれました。早くから織田信長に仕え、幾多の戦で手柄を挙げたことから、信長直属の部隊・赤母衣衆の筆頭に取り立てられています。若き利家は「槍の又左」の異名を持つほど槍の名手として知られており、6mもあろうかという槍を持ち、腰には赤鞘の太刀を下げて派手な着物に身を包む、かなりの傾奇者だったようです。明智光秀の手にかかった信長亡きあとは羽柴秀吉方につき、賤ヶ岳の戦で功を立て、加賀・能登の二国を与えられました。後に越中を与えられ、百万石の礎を築きました。
前田利家ゆかりの地としては、「兼六園」、「金沢城公園」、「尾山神社」などが挙げられます。

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前田利家の黄金の鎧兜

織田信長の跡目をめぐり羽柴秀吉と徳川家康の対立が激化し、天正12年(1584)、末森城の戦いが起きました。徳川方の佐々成政が、秀吉方の前田利家を倒そうと、加賀・能登・越中の要衝である末森城(現在の羽咋郡宝達志水町)に1万の兵を送りこんだこの戦いは、わずか3000の兵を率いて戦った前田軍の勝利に終わりました。この時利家は、光り輝く黄金の鎧兜に身を固め、末森城に入城したと伝えられています。加賀の金箔工芸技術の高さを天下に知らしめるため、卯の花糸(白色系の糸)でつづり合わせた鎧も、熨斗(のし)、鯰尾の兜(てっぺんを細長く扁平に仕立てた兜)もすべて金箔を施し、戦国武将の実力を示しました。

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前田家と梅

前田家の家紋は「剣梅鉢」紋です。前田家がこの紋を使い始めたのは、3代藩主・前田利常の時代だと伝えられています。では、なぜ梅の花なのか。それは、前田家が学問の神様として祭られている菅原道真の子孫であったからだとい、必ず梅がからんでいます。現在、梅は金沢の市章となっており、街を歩くとマンホールの蓋などについています。兼六園内にある「金沢神社」や「成巽閣」、兼六園に近い「尾山神社」、「尾崎神社」、「宝円寺」などにも梅があしらわれています。

金沢の街づくり

藩政時代に開花した華やかな芸術や文化とともに発展した金沢。金沢城を中心に武士などが暮らした長町、商人町の尾張町、かつては花街だった茶屋街、さらにこの生活圏を守るように東と西に要塞のように寺院が集められていました。
戦争の空襲被害に遭わなかったこともあり、金沢には貴重な遺構が数多く残り、兼六園をはじめ長町武家屋敷跡など、城下町風情を散策しながら楽しむことができます。

おすすめ金沢観光

金沢は街の随所に昔ながらの風情が楽しめる観光スポットがたくさんあります。見どころ満載の金沢観光は、エリア毎の散策がおすすめです。

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茶屋の文化

金沢市内には2本の川が流れています。勢いよく流れるおとこ川「犀川」と緩やかな流れのおんな川「浅野川」が流れており、河畔の桜や新緑、雪景色など、四季ごとに変わる風景で目を楽しませてくれます。
また、犀川のそばには「にし茶屋街」、浅野川に沿っては「主計町(かずえまち)屋街」と「ひがし茶屋街」があり、金沢には、藩政時代から続くこの3つの茶屋街があります。各茶屋街では、今でも一見さんお断りのお茶屋が並び、夕刻には三味線や太鼓の音が漏れ聞こえてきます。

おすすめ金沢観光

茶屋の文化をたのしむなら、尾張町ひがし茶屋街エリアへ 浅野川沿いに「主計町(かずえまち)屋街」と「ひがし茶屋街」を合わせて散策できます。

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